- 2022.02.28 Monday
- penso che・・・・・コラムなど
「GUZZI L'idea che ha cambiato Mandello」
の翻訳を続けてゆくうちにこの記事に関連した記述を見つけたので追記させていただきます。私が知らずに書いていた部分を正す意味もありまして・・・。
パローディ家の項で、1980年代のS.アルベルティという人の学士論文にカルロ・グッチがアドリアの飛行艇小隊で出会ったジョルジョ・パローディのその後が記されているのです。
戦争が終わり、彼はジェノヴァに戻って父の海運業を助けます。そのうちにスペインの貴族の娘と結婚し幸せな家庭を築くのですが、1935年、ジョルジョは西アフリカの戦いに身を投じます。数々の功績をあげてパイロットの腕を磨いた彼は1939年に100km飛行の平均速度の世界記録をたたき出します。機体はアンブロジーニS.7で平均392km/hに達したそうです。なんとまあ、また航空機のスピードの話になってきました。いつの時代も誰でもどこでも好きなんですね〜。ましてや戦雲濃厚な時代に先進兵器の航空機の開発競争には、ただならぬ情熱が注がれていたのでしょうか。
アンブロジーニS.7はレース用航空機で飛行艇ではなく陸上機です。某有名情報サイトを見ると、1939年に世界記録403.9km/hを樹立とありました。先の論文と年は同じくするものの速度が異なります。どちらかの数字が間違っているのか、ジョルジョの記録が同年他のパイロットに塗り替えられたのか、謎の12km/hの差になりました。そして某有名情報サイトには、戦後はアルファロメオのエンジンが積まれたとだけ記述があり、その前の戦中のエンジンの情報がありません。それでかわりにS.7をもとに開発されたというSAI.207を調べてみました。
SAI.207に積まれていたのはイゾッタ・フラスキーニ・デルタ(カルロ・グッチは学校を出たあとイゾッタ・フラスキーニ社のテスト部門にもしばらく勤めていました)という空冷倒立V12エンジンでした。あったんですね〜!空冷V12なんて!某有名情報サイトでカラー画像を見られます。各気筒が独立してたのですね。そうでないととても放熱が間に合わないでしょう。それでも前方のシリンダーに温められた空気が流れてくる後方のシリンダーはきついでしょう。モトグッチにお乗りの皆さんならスネに覚えがありませんか?ちなみに倒立であるのはパイロットの視界を確保するためでしょうか。私にはそれくらいしか思いつきませんでした。
ちなみにこの機の前のプロトタイプSAI.107も優れた性能を示しましたが、1941年7月18日に例のアルトゥーロ・フェラーリンが操縦中に墜落し、彼も機体も失われました。
1940年、イタリアの参戦とともにジョルジョは3度めの軍役につきます。かなり危険な軍務が続いたようです。そして1942年5月に砂漠の真ん中を飛行中(機体は不明です)にオーバーヒートが原因でシリンダーの一つが破損し、飛んできた部品によってジョルジョは顔面に深刻な負傷を負います。やはり放熱不足によるトラブルは起きていたのですね。
機体はおそらくセカンドパイロットによって基地に戻されたのでしょう。治療を受けたジョルジョは片目を失いました。「幸運にも、たまたまだけれど私には治療のための金がある」という彼の言葉が残されています。きっと多くの負傷兵は満足な補償も治療も受けずに苦しい人生を過ごしたのでしょう。
ここまでがモトグッチ誕生に関わった人々と航空機にまつわる話となります。ジョルジョが負傷した1942年は、モトグッチは創業から20年を数え、G.T.17を始め軍用車も供する大きなメーカーになっている時代です。その20年はパローディ家の項が終わってこれから読むことになります。モトグッチがスピードの世界で活躍する時代でもあります。なにかご紹介できることがあれば書きたいと思います。今回は画像もなく愛想なしでしたが、お読みいただきありがとうございました。
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