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MOTO GUZZI DAY を報道した地元新聞各紙の見出しから。
Mandello, il paese delle aquile.
鷲達の国、マンデッロ。

Moto Guzzi, passione senza confini.
MOTO GUZZI、国境をも越える情熱。

L'aquila vola fra migliaia di appassionati.
鷲が無数の熱狂者の間を羽ばたく。
Cosi quell'Aquila prese finalmente il volo.
こうして鷲は遂に飛び立った。

Il trionfo dell'Aquila.
鷲の凱旋(式)

 見学を終えて外に出ると雨がすっかり本降りです。California のそばに戻ってくると、雨の中早速声をかけてきたのはオランダの雑誌記者を名乗る男性でした。
「日本から?自分のMOTO GUZZI か?・・・・この雨はどう思う?」
え・・・雨?。もちろん私はノープロブレムと答えました。霧でも雪でも嵐でもノープロブレムだと大きく出てしまいましたが、考えてもみてください。ここまではるばるCalifornia を運んで来てるのに雨ぐらいでどうのこうの言ってられません。

 2日目の午後は最後のイベント、湖畔の広場での表彰式です。余りにもでき過ぎた話なのですが、土曜日の午後から24時間近く断続的に雨を落とし続けた雲が、ついにこの時青空に座を譲ったのです。特設舞台の上に並べられた数々のトロフィーにも初めて陽が差して、プレゼント抽選などのプレイベントが始まりました。今年は司会にタレントらしき人を使ったり、2人のサブ司会を揃えて英語・ドイツ語・フランス語など多国語進行までしています。だいぶ力が入っています。
 表彰も個人表彰・団体表彰と進んでいき、ついに壇上からMOTO GUZZI Owner's Club of Japan の名も呼ばれました。外国クラブ賞を受賞したのです。
「そのうちの一人が2万キロメトリの道のりをやって来た!」
などと途方もない冗談?まで叫んでいます。なにしろ実際には80kmしか走ってないんです。ともあれ外国で表彰を受けて壇上で大喝采を浴びるという、それこそ途方もない経験を私達8人はしてしまいました。しかもそれはMOTO GUZZI の表彰式でなのです。各々が恐らく一生忘れられない思い出になるでしょう。
 私にはさらに感激の事件が待ち受けていました。ROSSO MANDELLO というどこかで聞いた様な名前の赤ワインを頂いてしまったのです。もちろんMOTO GUZZI のオリジナルラベルの貼られた非売品です。将来中身を悪くしてしまう事がわかっていても、これはたぶん栓を抜けずに持ち続けているような気がします。

 こうして雨に濡れているCalifornia ですが、実は日の丸の旗とITALIA国旗を高々と飾っていたのです。目立つ色の2つの旗、特に日の丸の効果は絶大で目ざとく見つけて寄ってきます。California に貼ってあるJマーク(JAPAN のJ のステッカー)と私やそばに居るオーナーズクラブ員の顔をかわるがわる眺めてから、中にはJマークを指差して何処から来たのか尋ねて来る人もいます。残念ながらJマークと日の丸が必ずしも日本に直結しないようです。(ITALIA語ではJAPANではなくGIAPPONEですし) そして最後にCalifornia の後ろに回ってナンバープレートを確認。そしてホーーッと溜息。人によって溜息の意味はそれぞれかも知れませんが、1人のITALIA人が
「Complimento! E buon Guzzista! 」(良いGUZZI 乗りだよ)
と言ってくれたのは何とも嬉しく、それだけで来た甲斐がありました。

 周りを見回せばヨーロッパ各国のMOTO GUZZI が同様に雨に濡れています。日本に比べるとSP やCalifornia などのツアラーの比率がはるかに多いようです。それからITALIAナンバーのV11 LeMans の多い事! 本国とはいえ日本でまだ見ぬニューモデルがワンサカ走っているのはまさしく別世界でした。
 たくさんの年代物のMOTO GUZZI も自走でやって来ます。
「シュトン、シュトン、シュトン、シュトン・・・・・」
駐車場所を探す間、アイドリングのリズミカルな排気音が心地よく響いてきます。そして首尾よく駐車できるとオーナーは見学に繰り出して、戦前のクラッシックGUZZI 達もまた平気で雨の中に置き去りにされていたのでした。

 表彰の興奮も冷め遣らぬうち、新聞記者だという男性が近づいてきました。恐るべき事に手にはカセットレコーダーを携えています。そしてついにマイクが向けられました。私は MOTO GUZZI の魅力についてテープの限り語りまくろうと覚悟を決めたのでしたが、すぐに私自身の ITALIA 語の限界が訪れて、あっけなくインタビューは幕を下ろしてしまったのでした。しかしGenova まで船で送ったという事だけは正直に伝えました。(そのまま記事になっています。)
 やがて全てのイベントも終わり、ホテルへ帰るために本社前のCalifornia のそばに戻った私は、ふと湖畔の会場で記念写真を撮っておこうと思い立ちました。早速行ってみると早くも業者が舞台の解体を始めています。あらためて日の丸を立てて撮影をしたのですが、まさに祭りのあとの寂しさがあたりを支配しはじめているのです。
「最後だからホテルまで日の丸おっ立てて帰ろう!」
その事の恥ずかしさも祭りの終焉を少しでも先延ばししたいという気持ちが押さえ込んだようです。そして湖畔から表通りへとゆるやかな坂道を登っていくと、道沿いに並べられたBARのテーブルを中心に口笛や拍手が巻き起こっています。帰っていくMOTO GUZZI が通るたびに沿道に陣取った人達が背中を叩くような大騒ぎでもって別れの挨拶をしているのです。私も日の丸を靡かせて、クラクションを鳴らし続けながら進んで行くと歓声が湧き上がりました。紅潮した顔・顔・顔、人垣の凱旋門!!。
「皆サヨナラ。Ciao! Ciao!」

Takahiro Masumoto

 全ヨーロッパや北米やそして日本から、鷲の兄弟たちが冷たい雨の中をMandello del Lario に里帰りしています。そしてこの小さな街は私たちを献身的に迎え入れてくれました。路上で我々を呼び止めてはプレゼントの為の抽選券を配っていたのはボランテイアらしき子供達でした。主要道路は渋滞して路地のあちらこちらが臨時の通行止めになっています。また昼食は半地下風の田舎らしいトラットリアで摂ったのですが、どのテーブルもライデイングウェアーで埋め尽くされていて、地元の人達のランチが心配になりました。そしてトラットリアの女主人はなんと
「私も昔はMOTO GUZZI で働いていたのよ」
と言うではないですか。もしやこの街で石を投げれば元従業員に当たる、という感じなのでしょうか?街とMOTO GUZZI の密接度は計り知れません。

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