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 月が変わって10/1の朝7時、Varenna の街に大音響。ホテルが面する広場にある教会の鐘楼が、いつまで続くのかと心配になるほど鳴り続けます。それを合図にというわけではないのですが、部屋を飛び出してまだ少し寒い広場を横切り、BARに入って朝食がわりのカプチーノと新聞を貰います。
 ・・・と、そのうちの1紙に私達オーナーズクラブの表彰の様子が写真で紹介されているではないですか!。興奮してBARのおばあちゃんに
「見て、見て!!」
彼女は新聞から目を上げると
「私の夫は20年前に(20年間?)MOTO GUZZI で働いていたのよ」
と誇らしげに言うのでした。夜中に店番をしていたあのじいちゃんが・・・。世間は狭いと言うべきか?。MOTO GUZZI Web が想像以上に広いみたいです。

しばらく行くと対岸にMandello del Lario が見えてきました。表彰式のあった公園やそのそばの教会が見えます。空気が澄んでいるせいか、呼べば届きそうなほど近くに見えるのです。あの表彰式の大歓声もこちらまで聞こえていたのでしょうか?。

Chiesa di S.Alessandro

1923年のGiro d'Italia
Mentasti(25番)のMOTO GUZZIが優勝

 Onno=オンノという小さな集落で湖岸を離れて上り坂にかかりました。ワインデイングというより田舎道という風情の山道が平和に続いています。他に走る車も無く、集落に入っても人影すらありません。それでも判り易い案内標識に従って走るうち、目的の一つであるPasso del Ghisallo=ギザッロ峠に到着しました。自転車好きのオーナーズクラブ員から教えてもらったMadonna del Ghisallo=ギザッロの聖母の礼拝堂があるのです。そこは自転車の為の駐輪柵まで備え付けられたCiclista=サイクリストの聖地です。その前庭からは対岸のVarenna からMandello Del Lario まで見渡せます。しかしその向こうに聳える山塊が雄大過ぎて、パノラマも箱庭のように見えてしまうのは不思議な感覚でした。
 平日にもかかわらず切れ間無く峠を登って来るCiclista に混じってMOTO GUZZI もやって来ました。降りてきたのはオランダからのグループで、湖を一周して再びMandello Del Lario に戻り、今夜はパーテイーをするのだそうです。そのツーリングに誘ってくれたのですが、1人で冷たい風に晒されていた私は彼らの目に余程寂しげに映ったのでしょうか・・・?。そして礼拝堂に興味の無いらしい彼らが先に出て行きます。その出発を写真に収めながら見送ったのですが、彼らが駆け下りていった坂を逆に走ってくるレーサーの写真がMOTO GUZZI の歴史を紹介する本に出ているのを帰国後見つけました。それは1935年のものでその公道レースでMOTO GUZZI 250が勝利したという事です。またここに来る途中やはり写真を撮った教会も、1923年に行われたレースのカットの中に姿を見せていたのです。知らず知らずにMOTO GUZZI の勝利の歴史をほんの一部でも辿っていたのかと、いまひとりであごを撫でています。

 Varenna を出てレッコ湖畔の一本道を南下します。小雨の中だった昨日の朝とは打って変わった良い天気に気分を良くして走っていると、幾台ものMOTO GUZZI と行き違うのです。何グループも続く彼らは北の国々へと帰る人達なのでしょうか? 一様にあいさつを送ってきます。それは日本で私達がピースサインと呼ぶアレですが、ピースではなく親指だけを立ててのサインです。そしてこちらに向かって左腕を肩から斜め下に突き出しています。右側通行のこちらではクラッチから離した左手を横に出せば、反対車線に向いているという訳です。
「あ、カッコイイ! あれがこちらの流儀なのか。」
早速親指を思いっきり伸ばして左腕を斜め下に突き出します。ところが私は1台っきりなのに、北上して来るMOTO GUZZI は連綿と続いているのです。左腕は出しっぱなし!。センターラインを挟んで親指サインがすれ違います。中には両手を振って応えてくれるパッセンジャーもいました。私はというと、もうだらしなく口を開けっ放しにして走っていたのです。

 やがてMandello del Lario の街に入り、MOTO GUZZI 社の前に再びやって来てしまいました。月曜日の11時、散歩している老夫婦の他はごくごくたまに車が通るばかりです。真っ青な空とGrigna=グリーニャ山を背景にMOTO GUZZI の門の前で記念撮影するのですが、昨日全く同じ場所にCalifornia を停めていたのが嘘のような静けさです。時折り門が開いて恐らく新車を積んでいるであろうトレーラーが出て行くのを見ながら出発できずにグズグズしていると、私と同じく撮影をもくろむ人達がポツリポツリとやって来ます。去りがたいのかなと、勝手に自分と重ね合わせてしまいます。その中からシャッター役を申し出てくれたQuota のフランス人は偶然にも共通の知り合いを持つ方でした。やはり世間は狭いのですね。さらに幾人かとシャッターの押し合いをしたあと、真っ赤なQuota が一足先に北に向けて出発しました。私もそろそろ踏ん切りをつけてここを離れましょう!。

Madonna del Ghisallo

1935年のGiro d'Italia
Aldo PigorimiのMOTO GUZZI 250が勝利。ハンドチェンジ3速のマシンから、フットチェンジ4速にこの頃改良されました。

 Ghisallo を出ると、道は半島の先端までグングン高度を下げます。湖水が近くなるにつれて気温も少しづつ上がります。観光名所のBellagio という所で湖岸に達しましたが、余りに人と車が多いので早々に退散です。そして湖岸の細い一本道を再びLecco に向けて南下していくと、傾きはじめた陽光を浴びたMandello Del Lario がまたまた対岸に見えてきました。
 今朝既に別れをしてきたのに、思えば今日は1日中いろんな場所からMandello Del Lario の街を眺めつつ走っていました。いつまでも見えているようなルートにしてしまったのが悪いのですが、これではどうにも後ろ髪が引かれます。MOTO GUZZI DAY の2日間、誰とでも目が合うと笑顔でCiaoと言えたあの不思議さ。そしてもう皆が散り散りに帰ってしまった寂しさをあらためて感じます。・・・・でも、あそこへ戻っても街には日常があるだけなのです。
「さあ、明日はロングがあるのだ。」
気持ちを切り替えて走らなくては。2日前、TAXIに付いて走って来た道のりを思い出しながらMilano へ、Milano へ。

Takahiro Masumoto

 ただ真っ直ぐにMilano へ帰らずに、Como とLecco を分かつ3角形の半島部分を巡るつもりです。細い湖の東側をはずれまで南下して、南端に位置するLecco の街に入って北側を見ると、左右の湖岸を一望にできます。標高200m 程度の湖岸から一気に1500-2000m まで達する山々は地表を突き破ったタケノコのように聳え立っています。どこをどう切り取っても絵葉書になる風景です。何度もCalifornia を路傍に停めてカメラを取り出すのに忙しい事!。

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