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 10/3、Mare Adriatico=アドリア海に背を向けて、Fermo=フェルモという街を目指して走っています。今日Milano まで戻るのが私のITALIAツーリングの最後の行程ですが、ただAutostrada を500km走るのでは芸がありません。折角だから線路の通じていないような所にでも行ってみようと、日本を出る前にあらかじめ目星をつけていたのがFermo の街でした。それほど田舎でも秘境でもなく、ちょっと寄り道という手頃な位置にあります。

 海岸線から少し入った所で、左側にキレイな丘が見えて来ました。California を右手に寄せて跨ったまま写真を撮っていると、背後で人の声がします。振り返るとすぐ後ろに深い皺のおじいさんが立っていて、まるで呪文でも唱えるかのように、いつの間にか(すでに)私との会話をスタートさせているのです。
「MOTO GUZZI はBellissima でBenissima で・・・・」
非常に美しくて非常に良くて、と褒めておいてから、
「私も20年前・・ゴニョゴニョ・・」
後半が良くわからなかったのですが、恐らくは自分も乗っていたんだという事でしょう。私がさも感心したように大げさにうなずいて見せると、おじいさんは満足そうに手をもんでいます。
「それでは行きます。」
グローブを着け始めると、彼は羽毛の布団を上からやさしく押さえるような手つきを両手でしながら私の目を見て
「Piano、Piano 」
と言ったのです。ピアノ、ピアーノ?。Pianoー音楽用語ー弱く、という連想が頭の中を駆け巡りました。そしてあの手つきは?。どうやら、やさしく・ゆっくり運転して行けと言っているようです。
「Si、Piano、Piano 」
と私も復唱するとおじいさんはあごを引き、私を見送るでもなく早くもクルリと背を向けて歩き始めたのでした。なんて渋いというか、勝手というか・・・。

 中世そのものの街から再び平地に戻ってきました。そして海沿いの真っ直ぐな道からAutostradaに入ります。今日こそは失くさないようにと通行券を厳重にしまって走り始めると、右手には青く輝く海を見下ろし、左手には美しい丘が続きます。さらに50kmほど行くと海岸を離れて左右に丘陵地帯が広がってきました。今回は残念ながらToscana=トスカーナを走る事が出来ませんでしたが、きっとこんなキレイな丘が連なっているのでしょう。徐々にある欲求が高まってきます。
「よしっここらの地図は持ってないけど、ちょっと降りてみちゃおうかっ!」
と決意して、見えてきたインターチェンジAncona nord=アンコーナ北でAutostrada から降りてしまったのです。
 料金所を出ると目の前が十字路になっています。直進だけが広い道でとっさにどこへ進むべきか迷います。と、その時すっと左を抜いて行ってそのまま右に曲がった車がいました。ちらりと右手を見ると小山があります。それっとばかりに反射的に付いていってしまいました。するとその細い道はすぐに登り坂になりどんどん標高を増していき、住宅地を走り抜けると、パッと視野が開けて斜面を覆う畑の上に出たのです。藁と肥やしのほのかな香りが漂っています。さっき走っていたAutostrada も眼下に見えます。車も通らず、California のエンジンを切ると聞こえるのは風の音ばかり。
 しめしめと思いつつカメラを取り出し風景をバックにCalifornia の写真を撮りました。そしてオートシャッターで自分も写真に入ろうと草むらの中にカメラをセットしていると後でスローダウンした車がいます。しかしすぐにそのまま走り去ってしまったのです。

「不審人物と思われたかな?」
と撮影作業を続けていたら先ほどの車が戻ってきました。車からFiat と書かれた作業着を着た男性が降りて来るやいなや
「写真を撮ってやろう。」
と言います。それだけの為にUターンしてきてくれたのでした。聞けば彼は姿の通りMeccanico=メカニックだという事でした。そして写真を撮り終えるとすぐにまた走り去ってしまったのです。なんてさりげなくて有り難い親切でしょう!。
 彼の走っていく行く手に何か丸い建造物が見えます。興味を持った私も行ってみる事にしました。近づいて間近に見ると小さなお城のようです。直径200m程度でしょうか、周囲を道が丸く囲んでいてCalifornia で一周するのもあっという間です。そのかわいいお城は今や集合住宅として活躍しているようで、窓には洗濯物が干されていたりするのです。あー、それにしてもこんな小城アパートに住んで、あののどかな風景を毎日見下ろしながら暮らしているなんて!。ここら辺でCalifornia のシートに座ってボーッと1日でも過ごしてしまったら、二度と日本で社会復帰できなくなるような気さえしてきます。

 社会復帰できなくなる前に山を下りて再びAutostrada を走り始めました。もちろん日本にだって豊かな自然やのどかな風景はいくらでもあります。でも今見るこの景色はここがITALIA だと思うからなのか、ヘルメットのシールドやCalifornia のスクリーン越しに見るからなのか、何倍も美しくまた意味ありげに見えてしまうのでした。
 寄り道が多かったのでBologna を過ぎると陽が傾いてきました。夕方に近づいて交通量も多くなってきたようです。今日はITALIAツーリングの最終日、これでMilano に帰り着いたらいよいよおしまいなのです。それにしても今日は出し抜けによく声を掛けられました。Piano、Piano のおじいさん、Fiat Meccanico 氏、そして街中の信号待ちで話し掛けてきたのはランニングシャツのおじさんでした。おじさん歩道からづかづか出てきて私の肩をつかむと
「MOTO GUZZI はbene=良いか?・・・なに?Giapponese だって!」
と、信号が青になっても構わず話を続けます。ITALIA にしては珍しく黙って待っていた後ろの車から見れば、きっと知り合い同士なんだろうかと思った事でしょう。
「Buon viaggio!=良い旅を!」
を最後におじさんはやっと開放してくれました。アドリアの人々が特別人なつっこいのでしょうか、それともMOTO で旅する東洋人がよほど珍しくて声を掛けてくれたのでしょうか・・・・・?。
 いやいや、やはり彼らとの出会いも他の楽しかった出来事も、全てはMOTO GUZZI の魔法のおかげだとしておくのが、良き旅の思い出としてもふさわしい賢明な解釈なのでしょうね。

Takahiro Masumoto

 丘陵に点在する集落や畑地を見下ろしながら尾根に沿って走って行くと、前方の小高い山に建物が密集しているのが見えて来ました。あれがFermo です。おおよそ東西1kmに南北600mの中心部を持つ小さな街で、有名なAssisi=アッシジを小さくしたような感じでしょうか。城壁に囲まれた街に近づくとまるで見上げる様。Duomo の建つ頂上へ駆け上る道路も建物に挟まれてやや暗く、急に勾配がきつくなりました。そしてバスやトラックはくぐることのできない小さな門を抜ければ街の中心部です。
 街の広場はきちんと駐車係がいてむやみに入ってはいけないようでしたが、聞いてみるとMOTO は構わないのだそうです。柱廊に囲まれた長さ100m程の静かな広場の様子はまさにITALIA の小都市のシンボル。多くのITALIA 映画の舞台としても街の広場は大切な場所で、3人乗りのGuido の自転車か、Ciclomotore=原チャリに乗るLevante でも走ってくれば完璧!という感じです。Levante こそいませんでしたが、たくさんのスクーターと一緒にCalifornia を駐車しました。
 水曜日のまだ昼間であるせいか、回廊の商店も半分はシャッターを下ろしています。人影もまばらな広場から路地へと入ってみると、両側は年季を積んだ石の建造物がそびえ立っているので重圧感があります。この街には古代ローマの貯水槽が残っているぐらいですから、建物もかなり古いのでしょう。苔むす石の建物のせいでうす暗いこの路地は車1台がやっとという道幅なのに、Corso=大通りと名づけられているようです。Milano で言うCorso とは大違いですが、ブテイックや日用品店などが軒を連ねていて間違いなく中心街であるようです。それでも私以外に外国人観光客らしき姿を全く見ないのは、嬉しくもあり寂しくもあり、微妙な気持ちでした。

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